黄華堂☆星空ブログ

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宇宙開発裏話 Vol.19 〜日本海軍の固体ロケット〜続き
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    このコーナーでは、宇宙開発(ロケットや人工衛星)に関する裏話を紹介していきます。
    前回に引き続き、固体ロケットのお話です。

    戦後、村田は愛知県武豊の日本油脂株式会社に移り、火薬の研究を続けました。ロケット研究を再開したのは、昭和29年のことです。糸川研究室のロケットを担当していた、富士精密工業の戸田康明との出会いがきっかけでした。

    戸田は村田と面会し、ロケット開発の協力を打診します。ロケット技術を再び生かしたいとかねてから考えていた村田は、喜んで承諾しました。ただし、大きなダブルベース推進薬を作るためには、壊れていた圧出機を修理しなければなりません。村田は、手元にある火薬と小型の圧出機を使って、小さな管状推進薬を200本作りました。朝鮮戦争で使われていた米軍のバズーカ砲用火薬をロケット実験用に最適化したものでした。糸川教授は、小さい方が経費を抑えて何度も実験できる、と逆転の発想を抱き、この管状火薬に合わせたロケットを作りました。これが戦後の日本で最初のロケットとなった、ペンシルロケットです。



     その後、戦前に重噴進弾や桜花の推進薬を製作していた大型の成形機が修理され、これらはペンシルに続く、ベビーからカッパ4型までのロケットの推進薬を作りました。兵器として開発された負の技術が、宇宙を目指す黎明期の日本のロケット開発を支えていたのです。村田と戸田の出会いがなければ、海軍火薬廠のロケット技術が受け継がれることなく、全くの白紙の状態から開発せざるを得ませんでした。自前の固体ロケットを原動力に発展した日本の宇宙科学研究は、大きく出遅れていたに違いありません。


    by FUJII
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